海辺のカラス

四国高松で暮らすことになった僕の家出少年的日誌と釣行記

心の家出少年たちよ、魂の啓示を胸に刻め/小説『海辺のカフカ(上)』名言③

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新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が全国に出され、よもや家出どころの騒ぎじゃない世の中である。変化しつづける状況のなかで、余裕をなくした大人たちが作る社会はよりいっそう非寛容的になっていく。今回は想像力と許容についての科白から。

僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。 

そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。
p.313

図書館のあり方に対し難癖をつけにきた客から非難を受けた大島さんの科白。ここは上巻のなかでも特に興味深いシーンで、何度も読み返してしまうところだ。

県外ナンバーの車見つけては「迷惑なんだよ他県から遊びに来てんじゃねークソが」みたいなことTwitterに上げて喜んでる紳士淑女のみなさま。確かに悪質な例は多いみたいだし、個々が発信することで目に留まり、対策されることもあるかもしれん。

けど、目の前の車がそうじゃない場合の可能性を1秒でも考えたうえで発信してますよね当然?あ、紹介遅れてすみません。香川県在住、横浜ナンバーのUmigarasuです。よろしくお願いします。

正義も理想も大事だけど、他人に対してとやかく言うことじゃない。他人なんてコントロールできるわけないんだから。発信するなら「自分はこうする!」でいいでしょ。何に対しても。

という僕も、この文章でいきなりパラドックスを発生させているというね。いままでの全部忘れてくれ。誰に怒ってもいい、何を発信してもいい。法律に抵触しないかぎり日本は自由。けど、どんな結論を出そうとそこに想像力だけは持っておきたいなと思う。僕は。

 世界は日々変化しているんだよ、ナカタさん。毎日時間が来ると夜が明ける。でもそこにあるのは昨日と同じ世界ではない。そこにいるのは昨日のナカタさんではない。わかるかい?
p.329

ヒッチハイクしたナカタさんを富士川SAまで乗せていってくれるトラック運転手ハギタさんの科白。モブキャラだけど、なかなかいい役まわりの登場人物だ。

僕は“成長”という言葉が嫌いである。子どものころから寮生活をしたり何度か転校したり、大人になっても何度か転職したりして、その度に行く先々で「成長したな」と言われるのが嫌だった。「これまでのところでもそれなりに力を発揮してたのにな」といつも思っていた。このまえまでLv.5だったのに、ここへきたらまたLv.1からなの?

いまなら少しわかる。周りの環境が変化したら、自分もちがうものになるのだ。
そしてそれは、日々の些細な変化についても同じなのかもしれない。昨日の僕と、今日の僕はちがう。それは、ときにどうしようもなくしんどく、ときに些細な勇気をくれる。

シーバスのナイトゲームで朝マズメまでやったりすると、昨日と今日が地続きであることに気づいてしまうのだが(笑)

 

好きな小説を改めて自分と絡めながら考察するというのは、思いのほか疲れるな。家出をするような気持ちで、初めて本を開いたときの素直な印象がもうまったく思い出せない部分も多くて残念な気持ちになる。

下巻の名シーンは、いったん体力を整えてから書くことにしよう。

引用はすべて 村上春樹著,『海辺のカフカ(上)』,新潮社,2002年 より