海辺のカラス

四国高松で暮らすことになった僕の家出少年的日誌と釣行記

心の家出少年たちよ、魂の啓示を胸に刻め/小説『海辺のカフカ(上)』の名言①

緊急事態宣言。外出自粛。一斉休校。

社会が窮地に立たされているいま、人知れず地獄の時間を過ごしているであろう“家庭に居場所のない子どもたち”について考える。

児相案件なケースは僕の想像の範疇を超えてしまうが、そうでなくとも通常の反抗期~親との間に決定的な不仲・無理解がある子まで、ここに属する人間はかなりの数いるはずだ。

かくいう僕も中高生のころ、特に親と仲が悪かったわけではないが、とにかく家になんかいたくなかった。積極的に家出したことはなかったが、基本ずっと外にいて家には寄りつかなかった。

家にいたくない。でも外に出られない。そんな子たちのなかで興味がある人に、ぜひ読書による心の家出、文章のインプットによる反抗をおすすめしたい。

僕にとってそれが、高校生のときに読んだ海辺のカフカだった。

村上春樹著『海辺のカフカ』について

超ざっくり言うと、高松の図書館で暮らすことになった15歳の家出少年と、謎のカギを握る老人&トラック運転手の兄ちゃんの道中、この2つの話が交差していく話。伏線と思われる部分が多く、ミステリー調で展開していくのだが・・・。

初めて読んだときの感想は「は?」であった。

はっきり言って意味不明。まったく話が回収されず、重要な人物は死ぬわ、ファンタジーな世界に突入するわで、本を投げつけたくなった。そりゃそうだ、だれもミステリー小説などとは言っていないのだから。

でも実は、注意深く何度も読めば自分なりとはいえ解釈できる。たぶん僕は50回は読んでいるのだが、この小説はストーリーの結実を楽しむものではない。作中に登場する人物の言動や引用される文学・音楽・歴史による啓示と示唆。これがなにより重要なのだ。

というわけで、家出少年に憧れた僕に刺さった、あるいは物語を理解するのに重要な科白やシーンをまとめてみたい。

海辺のカフカ 名言(上)

まだなんにも始まってもいないうちから、暗いことばかり並べたててもしょうがないものな。君はもう心をきめたんだ。あとはそれを実行に移すだけのことだ。なにはともあれ君の人生なんだ。基本的には、君が思うようにするしかない
p.5

“カラスと呼ばれる少年”が主人公カフカくんに向けた科白。新しい場所、新しい仕事、新しい人間関係に身を置くとき、いつも背中を押してくれる文。ひとり旅に出る前にも読む。

 

でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏み入れたときの君じゃないっていうことだ。
p.9

“カラスと呼ばれる少年”の誘導で、砂嵐のなかを通り抜けるイメージをする主人公。砂嵐とは、自分自身のなかにあるなにかの象徴である。生きている限り、人は問題にぶつかる。自身のなかにその原因がある限り、それはいつまでも離れずついてくる。その問題から逃げず、足を踏み入れ、くぐり抜けることで、いままでの自分じゃない自分になれる、ということだ。たとえ、はっきりとした実感がないとしても。
海辺のカフカ』とは、つまりそういう物話である。

 

 世界にこれほど広い空間があるのに、君を受けいれてくれるだけの空間は―それはほんのささやかな空間でいいのだけれど―どこにも見あたらない。
p.16

 まさに家庭に学校に世界に居場所のない少年。思春期の少年少女の思いを端的に表現している名文だと思う。こういう子たちが現実に存在することを、そしてかつて自分たちもそういう思いを抱いていたときがあったことを、大人たちは忘れてはいけない。

 

真夜中前からとつぜん強い雨が降りはじめる。僕はときどき目をさまし、安物のカーテンのあいだから夜の高速道路の風景を眺める。
p.18-19

 高松へ向かう夜行バスのシーン。特になにかを示唆している文ではないが、これ本当に夜行バスの旅で読みたくなる。厨二っぽくて恥ずかしいけど、浸れる。続く街路灯について書かれた部分まで含めて好き。学生のとき実際に夜行バスのなかで読んだら、暗くて見えないし、読書灯つけて無理やり読み進めたらバスの揺れとあわさって酔った。そんな思い出。

 

小さな子どもが家に戻りたくないと思ったとき、行ける場所はかぎられている。喫茶店にも入れないし映画館にも入れない。残された場所は図書館しかない。入場料はいらないし、子どもがひとりで入っても文句は言われない。
p.56

 何年か前、Twitterかなんかで居場所のない子どもたち向けにどこかの図書館司書が発信していたことと近い。きょうび小中学生だって原宿や渋谷をうろうろしているが、居場所のない青少年と言ったって繁華街でたむろできる子たちばかりじゃない。このご時世そうも言っていられなくなってきたが、図書館のような場所が子どもたちに開かれた空間であることを願う。

 

彼らはこれから学校に行こうとしているのだ。僕はちがう。僕はひとりぼっちで彼らとはまったく逆の方向にむかっている。僕は彼らとはちがったレールの上に乗っている。

僕はほんとうに正しいことをしているんだろうか?そう考えだすと、僕はひどく心細くなる。
p.58

 以前、欅坂のLIVE DVDの感想のなかで似たようなことを書いた。

umigarasu.hatenablog.com

通常の社会で生活する人たちを外側から眺める。ひとり旅とは、そして家出とは、要するにそういうことである。俺は自由だハッピー!なんてことはまるでなかったりする。不安にもなり、寂しくもなる。でもそれを味わうのはけっこう大事なことなんじゃないかなと。現実の体験であれ、読書体験であれ。

 

君は好きなものを好きなだけ食べられるという環境にはもういないんだ。なにしろ君は家出をしてきたんだものな。その事実を頭にたたきこまなくちゃいけないぜ。
p.90 

だって君は世界でいちばんタフな15歳の少年なんだものな
p.91

 ビジネスホテルの少ない朝食を前に、“カラスと呼ばれる少年”がカフカくんを諭す場面。“カラスと呼ばれる少年”についてはまた別の機会に考察するが、いちおう主人公の内なる自分と捉えておいていいだろう。

家出した、ということはもう昨日までとはべつの世界にいるということだ。与えられた環境で、ときには我慢をし、ときにはこれまで知識として持っていたことを実際に確かめながら強く生きなければならない。生きる力をつけていく重要な場面である。

余談だが、この突然ちがう世界線を生きることになるというのは、なにも家出少年に限ったことではない。進学、就職、転居、結婚といった人生の転換期。あるいは大きな災害。東日本大震災のあと、毎日の余震や計画停電が当たり前になったとき、もう震災が起こる前には戻れないんだなと思った記憶がある。

そして今回の新型コロナ騒動もそれに当たるんじゃないかなと。もう僕たちはいままでいた世界とはちがうルールで生きなければならない。不便さに耐え、柔軟にやり方を変え、新たな世界を生き抜く力をつける必要がある。各々が、世界でいちばんタフな少年になるのだ。保育士にクレームつけてる場合じゃねぇぞ。

■続きは次回

ここまでで上巻の第7章、102ページ。このペースでやるのかおい。
気に入っている箇所はまだまだあるが、文が長かったりうまく説明できなかったりでカットした。

今回の抜粋は、すべて主人公・田村カフカくんパートからである。次回は家出少年の平穏な生活がこわされ、謎の老人・ナカタさんパートが動き出すところから。お楽しみに。

※引用はすべて 村上春樹著,『海辺のカフカ(上)』,新潮社,2002年 より